今思うと昔の私はかなりのドリーミー女子で
(多分当時は現実を生きるのが辛すぎて夢の中で過ごしていた)
当たり前のように“魔法使いになる方法“や
“願いが叶うおまじない“的な本を読んでいたし、
5円玉に糸を通して作ったダウジングで
無くしたものや落としたものを探し当てたりしていました。
当時は“当たる“ことが普通だったし、
何も違和感なく、純粋に不思議な体験を受け入れていました。
夢からもらうインスピレーションも多く、夢占いの本で意味を必死に調べたり、タロットに興味を持ったのもごく自然な流れだったと思います。
ただ小学生だった私にはタロット付きの本はなかなかの高額で、必死にお小遣いを溜めて、お年玉を貰って、小学四年生の時にようやく買えたのでした。
それも子供向けのタロットではなく、占いコーナーにあった大人向けのタロット本。
解説を読んでもなんだか難しくて、当時はスプレッドなども意味がよく分からず、適当にカードをひいてはその意味を調べる…の繰り返し。
自分のことを占ったり友達のことを占ったりしていましたが、とくに好きな子もいないまだまだお子様な私にとって占う内容が次第になくなってしまったのです。
そして何気なく思いついたのが自分の弟の存在。
なにを思ったか当時まだ幼稚園児だった弟の健康運を占ってみたのでした。
その時に初めて対面したカードが
まさに『死神』
恐ろしい骸骨が大釜を振りかざしている、“ザ・デスカード“な見た目でした。
その死神の表情があまりにも恐ろしく、ドキドキと心拍数が上がったのを覚えています。
しかし、その時はあまり深く考えようとせず
「なんか変なの出ちゃったな」くらいで終わったのでした。
が…
その死神カードがでた数日後、
弟が頭に包帯ネットを被って自宅に帰ってきました。
親の話しでは幼稚園で友達と遊んでいた時にブロック塀で頭を叩きつけられたらしく、頭を切って数針縫ったとのこと。
その話しを聞いた瞬間、私の頭にはあの恐ろしい死神の顔が浮かんできて、物凄い恐怖心を覚えました。
『あぁ、私が死神のカードをひいたせいだ。』
なぜか当時の私はそんな風に思ってしまったのです。
タロットはあくまでも“未来や潜在意識を映しだすもの“であって不吉なものを呼び込むカードではありません。
ですが、まだお子様だった私にはこの死神事件がタロットをトラウマにさせるほどの恐ろしい体験でした。
『もう二度と死神のカードを見たくない。』
タロットの本も箱すらも見るのが怖くなってしまい、タロット以外のおまじないやダウジングも急に『やってはいけないもの』に思えてしまったのです。
それまで持っていたスピリチュアルな道具を一式箱に詰め、浄化をして手放しました。
それ以降、占い好きは相変わらずでしたが、自分でみることは辞めてしまったのです。
なぜかその辺りから凄く現実的な思考に変化したような感じがします。
しばらくはタロットやスピリチュアルとは無縁な日々でした。
というか、見ないようにしていたのかもしれません。
しかし年月が過ぎ、私はなぜかまたここに戻ってきました。
久しぶりにカードを触った時はまだ緊張感があり、やはり占うことに対しての恐怖心がありました。
とくに自分のことを占うのは怖くて仕方なかったです。
ですが、とあるヒーラーさんの『タロットはいつでも貴方の味方。』という言葉がものすごく心の支えになってくれました。
「タロットは決して人を不幸にするものではなく、あなたにメッセージを伝えてくれるツール。」
この言葉を何度も繰り返し、
『どんなカードが出ても、それは私の味方であり、自分を導いてくれているもの。』と信じてきました。
そしてようやく純粋にまたカードを楽しめるようになり、今こうやって活動ができるまでになったことに驚いております。
そう、嬉しさよりも驚きの方が大きいのです。
子供の頃あんなにスピスピしていたのに(スピリチュアル好きだったのに)嘘みたいにそのことを忘れていた自分がいます。
とっても不思議な感覚です。
正直、あそこまで純粋な気持ちには戻れない部分もあるのですが、それでも今は成長した“大人の私“としてのスピリチュアルとの付き合い方をしていきたいと思っています。
むしろ「3次元を生きていくのだから、これくらい現実的な思考を持ってカードをひくヒーラーがいても良いじゃない」と考えています。
少し長くなってしまいましたが、最後までお付き合いくださった皆様ありがとうございました。
こんな遠回りしてきた私ですが、興味を持ってくださったら嬉しいです。
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